その場凌ぎだったり負け惜しみだったりで、本当に綺麗だと思ったかどうだかは自分でもはっきりしない桜並木でした。でしたけど、チューズデーさんを加え、再び三人で桜の間をてくてく歩いていると、やっぱり綺麗だなあと。
 そんな感じで景色に浸っているのは僕だけではないらしく、他の二人も顔を右へ左へ向けながら。そしてその結果として、会話は殆ど無くなります。
 沈黙、と言えばなにやら穏やかでない雰囲気を醸し出す言葉ではあります。でも今は、穏やかでないどころかむしろその逆。穏やかにも程があるのでした。
 ……穏やか、かあ。三日前に神社で花見をした時はこんなにゆったりできなかったからなあ。みんなでお昼を食べてた時くらい? それまでは草引きだったし、その後は……膝枕だったし。足、痛かったなあ。

「お? おーおー分かった分かった任せときな。そんじゃ大船に乗ったつもりでごゆっくりどーぞー。はいはーい。……ケッケッケ。やっとお時間みてーだなあ」
「お時間……? ということは、今の電話……」
「そろそろ到着ってことじゃろの。おぉ、コソコソし過ぎて腰が痛いわい……中腰はどうも……」
「筋肉付き過ぎで重過ぎなんだよてめーは。たまには筋トレ控えてゴロゴロしてみろっつの。あーでもそしたら脂肪が付いちまうか?」
「と言うかそこまでしてるのに……どうして運動部に入ってないんですか……?」
「筋トレはただの暇潰しじゃい。あぁ、別に鏡見てうっとりとかそういうことじゃないからの。勘違いしなさんなよ」
「しようがしまいが印象変わんねーっつの。さぁてさて、そんじゃやりますかね」
「あの……何か、嫌な予感がするんですけど……」
「ワシも同感じゃわい。また禄でもないこと考えとるんじゃなかろうな?」
「おうおう、ひでえなお前ら。もうちょいダチのこと信用しろよ」
「それはちょっと、人に拠ると言うか……」
「じゃの。お前なんぞ信用したら馬鹿を見るに決まっとる」
「つれねえなあ。別にお前らに迷惑掛けるつもりはねーよ。なんならほら、二人とも駐輪場であいつが来るの待っててくれりゃいいから。俺一人でやっからさぁ」
「あ、じゃあ私は……それでいいです……」
「むぬぅ。触らぬ神に崇りなしじゃ、ワシもそうするか」

 そろそろ桜並木の終わりも近付き、もう少し歩けば薄ピンクの景色が緑へと――なんて考えてる間にあっさりと桜並木が終わり、左右の花が葉へと移り変わろうとした、その時でした。
 背後の、そして遠くのほうから、何かと何かがぶつかり合うような間隔の短い音が。そしてそれは、だんだんとこちらへ近付いているようです。
 わざわざ後ろを振り返るまでもなく、誰かが後ろから走ってきているんだろうということは理解できました。が、それでもその音はやっぱり気になり、気になったからには、そちらを振り返えります。
 そこで僕の目に映ったのは、こっちに向けて結構なスピードで走り込んでくる金髪のお兄さん。よほど急いでいるのか、ボタンを止めていないパッチ柄のカジュアルシャツは、彼のそのスピードにまるでマントの如く翻ってしまっています。そんななので、もう殆どその下に着ている紺色のTシャツ一枚しか着ていないも同然の格好なんだけど……あの人、このままだと真っ直ぐこっちに突っ込むコースですか?
 僕達が歩いているこの並木道は、そんなに狭いわけでもありません。むしろ広いです。幅で言うなら五メートル強くらいでしょうか?
 だと言うのにあの人は、前を歩く僕達――と言うか、僕でしょうか。僕を避けようともせず、直撃コースを順調に突っ走ってきます。なので、こちらから二歩ほど端のほうへ避けてみました。
 が、走り寄る彼は僅かに進行方向をずらして――依然結構な距離があったから、本当に僅かな距離なんだけど――それでも、確実に、こちらへと体を向けました。つまり、あの人は僕を目掛けて走っているということですか?
 多少の不安を感じつつ、もう一度横へ二歩ほど避ける。するとあちらももう一度こちらへ向きを変える。そしてそうしている間にも、着々と僕と彼の距離は詰まっていって――
 彼は、思いっっっっ切りニヤけました。歯どころか歯茎すら見えそうなほど口を開き、目を合わせたくないくらい不気味に目を細めて。
 それを見た僕は恐怖しました。そして栞さんの手を握り、初っ端から全速力で走り出しました。つまり、怖くて逃げ出しました。
「うわっ、ちょっ、孝一くん?」
 ――よく考えてみれば、栞さんの手を引く必要は無かったのかもしれなません。後ろの彼に幽霊が見えているのかどうかは分からないですし、見えていないという可能性のほうが確率としては大きいんですし。でも、そんなことを冷静に考えられるようになるのはもう暫らく後の話。
 この時点で僕が理解したのは、自分が栞さんの手を引いた理由が、栞さんを守るとかそんな格好いいことじゃなくてもっとこう――「怖かったから掴める物を掴んだ」という、相当情けないもののような気がすること。それだけなのでした。
 それでも構わない、構ってる暇なんかない、と栞さんへの返事すらせずにひたすら前を目指します。すると背後の彼から、存分に怒気を含んだお言葉を頂戴しました。
「おぉいこるあぁ! ちょっと待て逃げんなそこのおおぉぉぉ!」
 何だあの人! 何だあの人! 何だあの人! 何だあの人――!

 自分の足が、栞さんの足が、後ろから追いかけてきている人の足が、地面のレンガに打ち付けられて騒々しい三重奏を奏でます。ドタバタ音が三つです。
 ああ、なんでこんなことに。
「一応確認するが、後ろの彼は知り合いではないのだね?」
 どのくらい走っただろうか? もしかしたらまだそんなに走ってないだろうか? ひたすら並木道に沿って短距離走ペースで進んでいると、並走するチューズデーさんが平然とした口調で尋ねてきまし。僕はそれに対し、黙ったまま首を横に振ります。口から出せるのは精々、上がった息遣いだけだったのです。
「まあ、そうだろうね」
 チューズデーさんは実に余裕な表情でした。こちとら普段の運動不足が祟って、既にバテ始めてるんですけどね。
 それにしても、うーん、全力で走ったのなんてどのくらいぶりだろうか?……そういえば、みんなでプール行った時に走ったっけ。子どもに栞さんと喋ってるのを見つかって。ああ、意外と最近だったね。
 それにしても、プールと言えば思い出されるのはやっぱり女性陣……と言うかずばり栞さんの水着姿でしょうか。夏になったらまた拝める機会もあったりするかなー、なんて。こんな時にこんなな僕は破廉恥な男でしょうか?
「ちょっと、えっと、疲れてきちゃった、かも」
 体の疲れを誤魔化すために、男であるなら速攻で気を紛らわすことができるような(度が過ぎると余計疲労が溜まりそうだけど)ちょいとピンクめの映像を頭の中だけで上映していると、栞さんが苦しそうな声を漏らしました。清さんとの五十メートルクロール対決ではばっちり泳ぎ切っていたのに、やっぱり水中と陸上では勝手が違うんだろうか?
「いー加減待てってのぉ! ぬぁんで逃げんだよおおぉぉぉ!」
 ……ああ、なんということか。後ろの不審者さんは元気いっぱいです。
 見るからに活発そうだからなあ。普段からこんなふうに走り回ってるんだろうなあ。このままじゃそのうち――かと言って、どこかに隠れるようにも後ろの彼との距離がそんなに離れてないし。
 だんだん追い詰められていくだけでしかない状況に、むしろ開き直って冷静になる。もちろん冷静になったところでどうすることもできず、余計に絶望感が増し、そして余計に頭が落ち着くという、あってもなくても同じような無駄循環を続けていると、
「ふむ、二人ともそろそろ辛そうだね」
 未だに余裕しゃくしゃくなチューズデーさんは、事も無げにそう言うのでした。疲れていないのはもちろんのこと、緊急事態であるということすら意に介してないかのようです。
「わたしが時間を稼ごう。君達は……そうだな、噴水の所で待っていてくれ。暫らくしたらわたしもそこへ向かうよ」
「それっ……は、ちょっと危な過ぎ……ませんか?」
 そりゃあいくらなんでも、と無理に返した返事はまさに息も絶え絶え。
 噴水の場所は栞さんが知っているだろうからいいとして、あんな不審者さんに猫さんを立ち向かわせるなんてのは一友人としてどうなのって話ですよええ。いくらチューズデーさんが立派な大人で、しかも幽霊だとは言っても、体格に差があり過ぎるのです。
 後ろの彼からしたらチューズデーさんは高確率で見えてないんだから、明確に反撃されるようなことはないんでしょう。けど、例えばチューズデーさんが彼に飛び掛ったとして、見えない何かに張り付かれたら、金髪の彼は気味悪がって暴れ出すかもしれません。もしその勢いで地面に叩き付けられでもしたら、骨が折れるくらいはしてもおかしくないのです。
 幽霊はただ死なないだけであって、怪我はするんですから。以前、大学のトイレで大吾が壁に頭を打ち付けて額から血を出してた時みたいに。
 やっぱりどうあってもチューズデーさんの提案を承認するわけにはいかない、とずっしり重くなってしまった口をそれでもなんとか開こうとします。しかし、
「栞が行くよ」
 それより一瞬早く、栞さんがそう言いました。まるで怒っているかのように目を細め、眉を吊り上げて。
 しかしそれも一瞬のこと。続けて口を開く頃には眉は情けなく垂れ下がり、口は苦々しく笑いながら乱れた息を吐き出していました。
「どうせ、そろそろ、駄目みたいだし。だから孝一くん、手、放して欲しいな」
「そんな、駄目で」
 すよ。と言おうとしたのに、
「大丈夫だから。ね?」
 僕より辛そうだったのに、そう言っていつもの笑顔を見せてくる栞さん。
 …………なんて情けない。

「まだ来んのか? あいつが来れば全部終わるんじゃが」
「やっぱり……あっちが気になりますか……?」
「気になるの。あいつ、無茶苦茶しとらんじゃろか?」
「する気がなくてもしちゃう人ですから……望みは薄いんじゃ、ないでしょうか……」
「ぬむむむむ……やはり、ワシは戻る。他人とは言え、あの人が心配じゃしの」
「そうですか……。では、気を付けて……」
「まだ元の場所にいてくれればいいんじゃがの。ま、行ってくるわい」

「絶対に、無理は、しないでくださいよ」
 声を出す度に肺が潰れそうなくらい苦しくなる。だけど、言わないわけにはいきますまい。軽く血が出るまで頭を掻き毟りたくなるほど自分が情けないもんだから、せめて心配してますよってことぐらいは伝えておかないと、栞さんに申し訳が無さ過ぎます。
 ああ、彼女に不審者から「助けてもらわれてしまう」なんて。しかも告白した翌日に。
「大丈夫だって。たまには格好良いところ、見せたいしね」
 僕が握っていた手を放すと、栞さんはそれを言い終えるまでの間だけ、僕に並走。そして話が終わると立ち止まり、結果栞さんは僕から離れ、不審者さんは栞さんにぐんぐん近付いていきます。
 その光景に、ただでさえ疲労でいっぱいいっぱいな悲鳴を上げている僕の心臓は更に悲鳴を大きくしました。心労も身労も極限です。
 しかし不審者さんには栞さんが見えていないらしく、人にぐんぐん近付いているというのに視線は僕に向けられたまま。栞さんが僕の手を離れてから一秒そこらでそれを確認すると、心労のほうは少し収まりました。それでも尚、心臓が悲鳴をあげていることに変わりはないんですけど。
 ――そしてついに金髪の不審者さんが栞さんに並ぼうとした、その時。
「ごめんなさーーーい!」
 吼えるようにして謝った栞さんが、不審者さんの足に自身の足を引っ掛けました。いや、引っ掛けたと言うよりは足払いでしょうか。サッカーのゴールキックのような完全に振り抜く蹴りが、不審者さんの、今まさに地に着こうとした片足に命中しました。
「おぉっ!?」
 そりゃあ見えない相手の蹴りを警戒するなんて無理ですよね。
 外からの力に全く抗おうとしていなかった彼の足は、栞さんの非力そうな蹴りでもまるで突付かれたヤジロベエのように面白いくらい後ろへ弾かれます。
 しかし、尚も身体は前へ進もうとする。
「おぉ――」
 それでも次に「前方の」地面に着くべき足は「後方」にあり、しかも歩いているならともかく疾走中だったので、一瞬、勢いに任せて体が完全に地面から離れて、
「おっぶぉ!」
 シャチホコのような姿勢で顔面から着地。そして地面はレンガ舗装。でもどうなるかは考えたくないし、そもそも考えてる場合ですらないのです。
 シャチホコの姿勢から持ち上がった下半身をすとんと落とし、尻を突き出す格好になった不審者さん。そんな彼に深々かつ勢い良く頭を下げてからこちらへ駆け出す栞さんを見届けると、僕は前を向きました。
 後はこのまま逃げ切ればいい。これだけ広い公園なら一旦離れれば安全だろうし、なんなら駐輪場まで行って家に帰ってしまってもいい。なんにしても、彼がいるこの場所だけはさっさと離れたほうが賢明なのは間違いないです。
 ちなみに、綺麗にこちらを向いていた金髪不審者さんの頭はてっぺんだけが黒いのでした。
 プリンみたいでした。

 一度足を止めたせいか格段に走るペースが落ちてしまった栞さんに合わせてジョギングペースで進み続け、着いた先は噴水のある広場。まあ、公園全体のどの位置にあたるのかはさっぱりですけどね。
 入口で案内図見たのになぁ。一度で地図が覚え切れないのも、方向音痴の原因だったりするんだろうか? 細部はともかく、噴水なんて地図上でも目立ってただろうに。
 噴水とは言っても、細い水の柱がチョロチョロと三本ほど立ち昇っているだけの少々寂しいものでした。だけどこんなに疲れてる時にドバドバと盛大な音を立てられても気に障るだけのような気もするので、これもまた良しということにしておきましょう。夏の風鈴みたいな感じですかね。
「や、やぁ、やっと着いたぁ」
 足をもつれさせながらよれよれとその噴水に歩み寄り、縁に腰掛ける栞さん。後ろに両手をつき、出せるものなら背もたれを出してあげたいくらいに背中を後ろへ反らせると、
「これだけ走れば、んぐっ、はぁ、大丈夫だよね……」
 呼吸のついでとでも言うべきかすれ切った声で、そう漏らすのでした。天を仰ぎながら。いやあそういう反り返ったポーズもなかなか……いやいや、そんなのはともかく。おほん。
 これだけ走ればと言うか、もうこれ以上は走れなさそうでした。
「ありがとうございました、栞さん」
「お疲れ様、栞君」
 助けてもらったそれぞれが声を掛けると、栞さんは顔をこちらに向けました。そうしてぐっと息を飲み、呼吸を整えると、
「いえいえ、どう致しまして。……それにしても、あの人大丈夫かなあ。かなり痛そうだったけど。って、自分でやっといてこんな心配するのも変だけどね」
 正当防衛の範疇にある行為だと思いたいけど、あれは確かに心配にもなります。鼻血くらいは出ててもおかしくないし、あの勢いと着地の素晴らしさを考えれば鼻の骨くらいはもしかしたら……?
「ま、まあ大丈夫ですって。受身取るのは失敗しちゃったみたいでしたけど、言ってみれば走ってて転んだだけなんですから」
 中学か高校で習いますよね? 柔道。その中でやりますよね? 受身。やればよかったんですよあの人が。……いや、本当にやっちゃって炎の中から立ち上がるターミネーターよろしく何事も無かったかのように追跡を続行されたりしたら、困るどころか怖いんですけどね。
「だだ、だよね。きっと大丈夫だよね。走ってて転んじゃっただけだもんね。あはは」
 まるでどこかの誰かにわざと足を引っ掛け、それをうしろめたく思っているかのような苦い顔をお互いに向け合います。でも大丈夫だろうから大丈夫でしょう。うん。
「くくくく。手厳しいね、二人とも」

「あ゛ー、まだ痛えな……何だったんだありゃあ? つまずいたっつーよりゃ俺、飛んだよな? あの兄ちゃんにも逃げられちまうし……あーもームカツク腹立つ! なんで逃げんだよぉ! 俺、そんなに凶悪な面してるか!? 髪か!? 染めてっからか!? 今時んなの珍しくもねーだろがぁ! 眉毛剃ってるわけでもピアスジャラジャラなわけでもねーだろ!? いや、それだって最近そこまで珍しくもねえ! 外見で人を判断すんなっつーの!……っと、んな時に電話かよ間ぁ悪ぃな――はいはーいもしもしぃー」『うっわ、いきなりご機嫌急直下? 電話に出る時ぐらい相手に気ぃ使いなさいよ馬鹿じゃないの頭悪いの? こっちまで釣られて機嫌悪くなったらどうすんのって言うかもうなっちゃってるわよ?』
「知るかボケ。こっちゃあ怪我してんだよ。ちったあ気ぃ遣って優しい言葉でも掛けろってんだ」
『嫌よそんなの気色悪い気持ち悪い。怪我したって? そんなの電話越しで分かるわけないでしょ? そんでどーせまた自業自得なんでしょあんたのせいなんでしょ? どーなのよそこんとこ』
「こっちが説明して欲しいくらいだっつの。走ってたらいきなり足が後ろに吹っ飛んでそのまますっ転んだんだよ。レンガに顔面から着地したっつの」
『転んだぁ?…………ぷはっ! あーはははは! ださっ! だっさっ! 何それそのちっさい事件! ぷはははははははは!』
「…………ウザ過ぎる……」
『何か言った?』
「言ったけど気にすんなウザいから。そんで、何の用なんだよ」
『ああ、公園に着いたから報告しようと思っただけ。――ってちょっと待ってストップ。走ってて転んだって、もしかしてあの男の人追っかけててその最中にってこと? それじゃあ』
「あーそーですよ逃げられましたよ。何か文句でもおありでしょうかご主人様?」
『あるに決まってんでしょうが! あーもー最低最悪! だいたい何で走って追いかけるのよ! あんたみたいな不良面が迫ってくりゃあ普通の人はヒクわよ逃げるわよ!』
「ああ!? ツラのことはほっとけよ! 今この場で整形でもしろってか!?」
『だから普通に声掛けりゃあ――ああもういい! もーいい! そんであんた今どこにいんのよ!?』
「今ぁ? そーだな――」

「買ってきましたよー」
「ありがとー」
 昼食を食べた広場に比べると、人気の少ない噴水一帯。今が夏だったら水浴びする子どもとかで賑わうんだろうけど……。
 そしてそんなちょっと寂しい一帯のその片隅には、別の場所でやればいいのに移動式のソフトクリーム屋さんが。「季節を考えたらまだちょいと気が早いんじゃないですか?」なんて意見はいいとして、激しい運動の結果、口の中が寂しくなったので利用させていただくことになりました。
「どっちがいいですか?」
 噴水の縁に座ったままで待っていた栞さんへと差し出す僕の両手には、それぞれバニラとチョコ、二種類のソフトクリームが。今時味がこの二種類だけって言うのも逆に珍しいんじゃないでしょうか? 大概は抹茶味だとか、なんたらフルーツ味だとか、そうじゃなくてもせめてバニラとチョコのミックスぐらいはあると思うんですけどねえ。
「じゃあ――チョコ、もらっていい?」
「どうぞどうぞ」
 まあ、こうして二人で分ける分には丁度良かったからいいんですけどね。別に抹茶味が好きなわけじゃないですし、そもそも食べたことないですし。
 栞さんに茶色いほうのソフトクリームを渡してその隣に腰を降ろし、小さく舌を出しながらクリームを少しずつ舐め取る栞さんを清涼剤に、まずはソフトクリームの頭をかじり取りました。するとそれによって口の中も冷やされ、見知らぬ人に突然追いかけられる恐怖と、その見知らぬ人から逃げることによって生じた心身双方の余熱が、じんわりと消え去っていきます。そしてその実感によって、ただのバニラソフトクリームが随分と美味しく感じられるのでした。
 ……ところで、ソフトクリームを舐めて食べる人とかぶり付いて食べる人って、どっちのほうが多いんだろう?

「うーわー、何なのそれそのティッシュ? 鼻血出ちゃったわけ?」
「顔面からこんなレンガに突っ込みゃ当たり前だろ。まあ、もう止まってるかもしんねーけど」
「あの……一人なんですか……? 私てっきり、二人でいるのかと思ってたんですけど……」
「あん? そーいや一人足りねえな。あいつ、お前らと一緒にいたんじゃねーのか? お前と二人で駐輪場に行ったじゃねえか」
「いえ、あの……それが……」
「あんた探して行っちゃったんだってさ。あーあー面倒なことになっちゃったわ厄介だわ。あの男の子も捜さなくちゃなんないのに」
「うおっ。まだ止まってねえや鼻血」
「話聞けこのアホ馬鹿間抜け! 誰のせいでこんなことになったと思ってんのよあんたのせいよ!?」
「なんでそーなんだよ! 俺は何も間違ったこたぁしてねえぞ!? 人を見掛けで判断するあの兄ちゃんがだな!」
「中身まで知られたら余計逃げられるでしょうがこの変人変態! どーすんのよ尋ね人増やしてくれちゃって!」
「知ったことかよ! とにかく俺は何も悪くねえ! 故にどーもしねえ! お前がどんなに怒鳴ってもな!」
「あ、あの……一方は携帯で連絡すればいいんじゃ……」
『それだ!』

 栞さんとほぼ同時にソフトクリームのクリーム部分を食べ終わり、さくさくパリパリとコーン部分をかじっていると――どこからか、ゆったりした音楽が流れてきました。聞き取れるギリギリくらいの小さな音量ではありましたが、
「あれ、何か聞こえない?」
「聞こえるね」
 栞さんとチューズデーさんにも聞こえていたのなら、空耳ではないんでしょう。
 その音楽がどこを発生源としているのか特定しようとして、おおまかにこっちだろうと思う方角を見渡してみます。が、その視界内には何もないし誰もいません。
 一方チューズデーさんは最初から一点に視線を固定しているようで、微動だにしていませんでした。そうこうしている間に音楽はその途中で突然鳴り止み、それによって噴水の水音以外は一切の音がなくなります。
 すると、それを待っていたかのようにチューズデーさんが口を開きました。
「少し……音が不自然なように感じたが。音量からも考えるとあの茂みの向こうに誰かがいて、何かの機械で音楽を聴いていたのだと予想するね」
 猫の聴力は人間よりも上のようで。音源の箇所は僕にははっきり断定できませんでしたし、音それ自体の不自然さに至っては全く分かりませんでした。まあ、曲が唐突に終了したことから携帯の着信音だったのかなー、くらいは思いましたけど。
 ……僕の聴力に異常があるだけ、ってことも無いでしょう。無いと思いたい。栞さんはどうですか?
「そんなことまで分かるんだねー。やっぱり猫の耳って凄いよね」
 そうですか。
「む? ああ、人間の耳はわたし達の耳より聞こえが悪いんだったかね? 大吾にそんな話をされたことがあるような無いような」
 あんまり関心指数が高くはなさそうな物言いでそう返すと、「そんなことよりもだね」と続けるチューズデーさん。
「念の為、わたしがあの茂みの向こうを見てこよう。ついさっきあんなことがあったばかりだからね。もしあの金髪の男だったりすると、また栞君が疲れてしまうだろう?」
 そういう軽口を交わせるほど薄っぺらい事件でしたっけ? 少なくとも僕は本気で怖かったんですけど。あんなに怖い思いしたのって、どれくらいぶりになるんだろうか?
 ……そういえば、あまくに荘で初めてみんなと会った時も相当怖かったっけ。気絶しちゃったくらいだしなあ。――ああ、意外と最近でしたか。

『あの、今どこにいるんですか……? こっちはわたしも含めて三人揃ったんですけど……』
「お? そうか、そっちで揃っとったのか。いやの、ワシも今そっちに掛けようとしとったところなんじゃが――」
『あ、わ、ああ……』
「ん? なんじゃ? どうした?」
『ちょっと! 哲郎くん今どこにいんのよ何してんのよ! こうやってうろうろしてる間にあの男の子が帰っちゃったりしてたらどうすんの!?』
「……いやだから、今その話をしようとしたところじゃろが。せっかちじゃのう」
『せっかちになるのも当然でしょうが当たり前でしょうが! だから今どこにいるのか簡素に簡潔に言いなさい答えなさい!』
「はぁ。噴水広場の脇じゃよ。今そっちにいる阿呆が見つからなくての。適当に歩いとったら――」
『なんでそんな遠い所にいんのよ! あーもー合流するまでの時間がもったいないじゃない無駄じゃない! やっと見つけたあたしのアレの手掛かりだってのにぃー!』
「いやの、その手掛かりが今、同じ場所にいるんじゃよ。全くの偶然なんじゃがな。それでお前さんに念の為どうするか訊こうと――」
『先に言いなさいよ! 噴水ね!? 噴水広場ね間違いないわね!? そんじゃすぐ行くから哲郎くんそこで待機! また後で! バイバイ!』
「分かった分かった、それじゃ後での。……ふぅ、やれやれ」

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