残った僕と栞さんは、チューズデーさんの小さくてしなやかで黒い後ろ姿が潜り込んだ茂みをじっと眺めます。
 茂みの向こうにいるのがもしプリン頭の人だったとしても、栞さんがそのプリン頭を披露させたさっきの一件で、彼が幽霊を見られない人だってことは分かっています。だから、そこへ一人で向かったチューズデーさんの身に危険が及ぶことはまずないんでしょうけど。
 ……それでもやっぱり、心配だなあ。
 チューズデーさん自身のためにも自分のハラハラ解消のためにも、早く帰ってきて欲しいものです。と思えば思うほど時間の流れがゆっくりになってしまうのは、恐らく誰にでも経験のあることなのでしょう。例を挙げれば、早く授業終われだとかコマーシャルはもういいよだとか考える時に。
「あ、戻ってきたよ」
 視界では捉えていたのに、意識がその姿を捉えたのは声がしてからでした。ずっと同じ方向を見ていたとは言え、余計なことを考えていた分、栞さんより反応が遅れてしまったようで。
 ご無事で何よりです、チューズデーさん。
 こちらのそんな安堵感を表すかのようにゆったりゆったり身体を波打たせながら、こちらへ戻ってくるチューズデーさん。栞さんが「お帰りー」と首を若干横へ傾けると、「ただいま」と返して栞さんの隣へ腰を落ち着けました。
 まあ、茂みの向こうでは何事も無かったんでしょう。この緊張感の無さからすると。
「さて、結果報告だがね」
 考えたその矢先、あちらから話が。
「はい」
「うん」
 問題が無かったのはもう確定したようなものだけど、背中を見送った側としてはその報告を聞く義務があるだろう。ということなのかどうかは知らないけど、二人それぞれ姿勢を正します。それを確認したのか、一度僕達に目配せしてから、チューズデーさんの報告が始まりました。
「まず一番問題とされていた部分についてだが、向こうにいたのはあの金髪君ではなかったよ。良かったね、栞君」
「あはは、そうだねー。また走り回ったり足引っ掛けたりするの嫌だし」
 軽口を交えて二人が微笑み合っている間に、その外で僕は考えます。
 特に僕を意識して言ってるわけでもなさそうだからただの考え過ぎなんでしょうけど、どうにも「お前がなんとかしとけよ」的な当て付けに聞こえてしまいます。それは他人の声に乗っかった自分の声だったりするんだろうけど……まあ実際、そこまで上手くはいかないもので。
 小学生くらいの時、どこそこで不審者が出たというニュースを見てこう思ったものです。「自分だったら金玉蹴り上げてやっつけちゃうよ!」と。
 多分、大体の人はそんなふうに考えたと思います。実際担任の先生から「隣の校区で不審なおじさんが出たそうです。みんなも気をつけてね」と聞かされた時の我がクラス、二の一では、男子からそういう声がいくつか上がったのでした。若い――と言うか、幼い故に怖いもの知らずだったってところでしょう。無論、そんなことができる筈は無いんですけどね。今ですら同年代くらいのお兄さんから全力で逃げる有様なんですし。
「それでだね、向こう側では男が携帯電話を使用中だったよ。着メロ……と言ったか? わたし達が聞いたのは恐らくそれだろうね」
 口だけでも格好つけられる分、今の僕よりは昔の僕のほうが外面は良かったのかなー、なんて思ってる間に、チューズデーさんの報告。ふむ、やっぱり携帯でしたか。
 改めてその音が聞こえた方向を見てみたところ、植え込みの向こうに人がいると確定したせいか、今になってその様子が思い描かれます。その人は地べたにでも座り込んでいたんだろうか、と。植え込みは腰ぐらいまでの高さしかないのに、その人の姿はこっちからじゃあ全く見えてなかったんですし。
 まあ地べたに座り込むくらいはこんな広い公園じゃあ、それ程おかしな行動でもないとは思います。でも、ちょっと前にもありましたよね? こんなこと。あの時ほど至近距離じゃないけど――真っ黒さんの時も、こうでしたよね?
「えーと、あー、そこのお兄さん?」
 栞さんでもチューズデーさんでもなく、しかし女性のものではある声が、その反対方向から聞こえてきました。
 この近辺に「そこのお兄さん」という呼称が当てはまる人物は、僕しか存在していません。他はいずれも「お兄さん」ではないですし、植え込みの向こうの人は「そこの」と言うにはちょっと遠いですし。よって「そこのお兄さん」とは自分のことであると判断し、声がしたほうを振り返ります。するとそこには、
「あ、さっきの」
 インパクトのある出で立ちに思わず声が出ました。
「あれ? この人――あっ」
 後ろの栞さんも同じく声を出してしまい、その声を慌てたように途切れさせます。が、目の前の二人は特に反応無し。万一、二人揃って聞き逃したのでなければ、どうやら聞こえてはいないようでした。
「さっきは……失礼しました……」
 噂をすればなんとやら。ロングおかっぱ、もしくは目隠しおかっぱとでも言うべきヘアースタイルの、真っ黒さん再登場であります。前回と同じくちょっと季節外れ感のあるその黒いコートの袖からは、手が出ていませんでした。遠目で見たときに手袋をしているんじゃないかと思ったのは、どうやらこれだったようで。
 そしてその隣には、若干緊張気味のような女性が。笑っているようでもあり引きつっているようでもあるその半開きな口元を見る限り、僕に「お兄さん」と声を掛けたのは、こちらのおでこ丸出しなオールバックの女性なのでしょう。……見事なおでこだけど、どこかで見たことがあるような? しかも極々最近だったような――ま、いいか。知らない人には変わりないし。
 二度あることは三度あるとはよく言ったもので、知らない人に声を掛けられるのはこれで本日三度目です。一度目はそこの真っ黒さんで、二度目は全速力で追いかけてきたプリン頭のお兄さんで、三度目はこのおで子さん。
 しかしその通り三度目である上に、これまでの二人に比べてインパクトが無いので、無意識の内に「拍子抜け」という言葉が頭をよぎってしまうのでした。
「それで、僕に何か?」
 普通は突然知らない人に声を掛けられたら、ちょっとくらい警戒心も生まれるんでしょう。だけど、頭が冷めてしまっているので、とてもそんなふうには思考が働いてくれませんでした。まあさすがに女性が襲い掛かってくることは無いでしょうから、警戒したところで杞憂に終わりそうな気もしますしね。
「あ、あのー、あたしは別に怪しい者じゃなくて」
 訊いてませんが、そうですか。怪しい者じゃないんですか。それは良かったです。
 下は右膝の部分が擦れて横糸が露出してしまっているジーパン、上は横縞模様の長袖シャツにベストという装いなその怪しくないおで子さんの自己紹介は、まずそこから入ったのでした。
 普通に考えるなら、「『怪しい者じゃない』と名乗る人物が怪しくないことなどあるのだろうか?」ってところでしょうか?
 ええ、僕だってぶっちゃけそう思います。怪しくないならそんな台詞、言わなくてもいいわけでして。もしそうでなかったとしたら、全ての人が、誰かと話を始める際は必ず「自分は怪しい者じゃない」と言わなければなりませんし。
「憶えて――ない、かな? あたし、今日、大学ですれ違ったんだけど。正門から、ちょっと入った辺りで」
 おなかの前辺りで右手と左手の指をいじいじと絡み合わせ、緊張のあまり軽く過呼吸になっているのか、言葉を短く切りながら……大学? 正門の前辺りで――ああ、あの人だったのか。
「ああ、はいはい! 覚えてます覚えてます」
 いやあこんなに特徴的なおでこを忘れるとは。やっぱり自分に何の関係もない人の印象っていうのは、驚いてしまうくらいにズガンとこないと残らないものなんですね。事実、真っ黒さんは覚えてたし。
 で、僕に用があるのなら、どうして真っ黒さんはあの時何も言わずにいなくなってしまったんだろう? あれから時間も随分経ってるし。
 しかしそんな疑問をぶつけようにも、「家庭科の調理実習にわくわくしながら臨んでみたのは良いものの料理の経験が皆無なので、いざ包丁を握ったらどうしていいか全く分からずにオロオロしてしまう人」ライクなもどかしさを帯びる女性が相手では、正直気が引けます。だからまあその、落ち着いて用件をどうぞ。
「そ、そう。良かった……あ、いや、まあ、忘れられてても全然構わないんだけどさ」
 やっぱり話の内容には入ってくれない、と思ったらおで子さん、ここで大きく深呼吸。お腹の前でもじもじしていた手も離れ、腰の両サイドへと移動。傍目からも分かるようにそうして気を取り直すと、
「大学ですれ違った時、足止めてあなたのこと振り返ってたでしょ? そのことでちょっと話があるのよ」
「何でしょうか?」
 語調が整えられ、話もついに本題へ――差し掛かった筈、だったんでしょうけど。
「おいおい、ワシは放っとかれたままなのか? あそこで待っとるように言ったのはお前じゃろうに」
 視界外から年寄り臭い口調の若々しい声が。一体どっちなんだと振り返ってみればもちろん若者で、そこには少々小柄なスポーツ刈りの男性が。小柄とは言ってもそれは身長だけを見た場合の話で、半袖の白シャツから覗く腕は、ぱっと見ただけでも筋肉質でした。そして下はジャージ、腰にはそのジャージの上着部分を結び付けているという格好からして、まず間違い無く何かスポーツをしている人なんでしょう。ちょっと肌寒そうだけど。
 ――聞き覚えも、見覚えもありますです。そして成美さんとの約束も。
「む。先程電話をしていた彼だね」
 チューズデーさんが、恐らくは僕と栞さんに向けて、そう小声で呟くとほぼ同時、
「成美さんの……!」
 僕も呟いていました。小声ではありつつ、しかしはっきりと。
「成美ちゃん? ああ、そういえば昨日言ってた人の特徴って、この人そのものなような?」
 理解が早くて助かります栞さん! とか言ってる場合なんだろうか!
「ああっ! 今本題に入ろうとしたのにやっとだったのに! なんでそんなタイミングで入ってくるわけ!?」
 ここで突然、こちらの事情など構わずおで子さんの態度が急変。まさに急変。何がそんなに彼女の逆鱗に触れたんだろうかと思わざるを得ないほどに、語調が猛ります。が、そんな厳しい態度にも拘わらず、スポーツ刈りさんは涼しい顔。
「相変わらずの内弁慶ぶりじゃのう。……ところで、口宮はどうした? 三人揃っとったんじゃろ?」
「あ……邪魔になるとかで……由依さんが置いてきちゃいました……」
 口宮という人を捜しているのか辺りを窺うジャージさんに、真っ黒さんがゆったりと答えます。それによれば、おで子さんは由依という名前だそうで。
「あいつが顔出したら話がややこしくなるでしょうからね」
「ふむ。妥当な判断じゃの」
 腰に手を当てふんっと鼻を鳴らすおで子さんに対し、ジャージさんは腕を組みつつ頷いて見せた。どうやら口宮さん、厄介な人だそうで。
「……ところで、人違いじゃったら申し訳無いんじゃが」

「あー、だりーな畜生。いざ兄ちゃんに会うとなったらここで待ってろって、どーいうこったよ? あんだけ走り回った挙句にこんな扱いってあるか?……はぁ、もうあいつら放っといて帰ろうかな俺。どーせ、あいつらが出てくるのはもう全部終わってからだろーしな。あんだけしんどい思いして鼻血噴いて、最後がこんなんじゃあ――そもそも……そうだ、そもそもあの兄ちゃんが逃げるからこんな目に会ってんじゃねーのか!? なんだ!? なんで逃げられた俺!? 染めてるからか!? いや! んなもん今日び珍しいもんでもねえ! 顔面ピアスだらけとか超コワモテで眉毛も髪も全剃りとかならまだしも、ただ髪が黒じゃねえってだけで逃げられるのはどう考えてもおかしい! つまりおかしいのは俺じゃなくて、あの兄ちゃん――」
「ねーねーおかーさん。あのお兄ちゃん、一人で何言ってるの?」
「――んむ!?」
「あ、だ、だめよ。人様に指向けちゃ……ああ、すいませんうちの子が」
「あ、いや、別に……。……帰りてえなあ」

「まったく、顔見知りなんなら初めから――あ、えー、それでえっと、本題なんだけど」
 内輪の話が終わると、ふんっと鼻を鳴らしてからこちらへ向き直すおで子さん。今見せた高圧的な態度を引きずってか、さっきまでの自信無さげな表情よりは、若干凛々しくなっていました。
 が、それも一瞬の間だけ。次に口を開く頃には、既に元通り。そしてその開かれた口によると、
「学校であなたとすれ違った時、その……、自分でもよく分からないんだけど、何かを感じたのよ。首筋がちりちりするって言うか」
 とのことです。
 ……え? で? だから? もしかして、それだけですか? 何かって何ですか? よく分からないものを感じたとか言われても、僕はそれにどう答えたらいいんですか?
 小馬鹿にしてるとかではなくて、真剣にそう思ったのでした。思わざるを得なかったのでした。情報不足にも程がありませんか?
「これ、昔からずっとでね。いつもは誰もいない所でいきなり来たりするんだけど、今日はそんなだったから……」
 そこで「感じる」ということだろうか、おで子さんは首の裏に手を当てながらほんの僅かに俯き、目を細めてそう言いうのでした。
 そしてその手を下ろし、再び正常に開かれた目でこちらを真っ直ぐに見据えると、
「あなたに話を聞けば、あたしのこれが何なのか分かるかと思って。それであたしの講義が全部終わるまでこの二人と――今ここにはいないけど、もう一人にあなたを追いかけてもらったのよ。話は自分でしたかったから」
 納得していいのやら悪いのやらな話ですが、どうしましょうか。
「学校で会った時にそのまま話し掛けてくれれば良かったんじゃないですか? そうすれば、こんな所まで来てもらわなくてもよかったと思うんですけど」
 そちらから見れば一人散歩なのかもしれないですけど、これでも一応初デート中なんですよ。それを大学からずっと見られてたっていうのは、やっぱり気分がよろしくないです。
 って言うか、恥ずかしい上に怖いです。だって、そちらからしたら独り言バリバリだったでしょ? もしも「これはエアデートだ」とか言い訳したとしても、余計におかしな人扱いされそうですし。あのプリン頭さん以上に関わりたくないですよそんな人。自分で言うのもなんですけど。
「あ、ご、ごめん……な、さい。本当はそうしたほうが良かったんだろうけど、話し掛けようかどうか迷ってる間にあなたがどこかに行っちゃって……」
 そんなに怖がられるような顔をしたつもりはなかったんですけど、それでもそんな僕の胸中を察したようです。前髪に隠れてない分他の人のそれより目立つ眉毛を、もし言葉がなかったとしてもその謝意が容易く読み取れそうなくらいに垂れ下げさせるおで子さん。
 本当にさっきのジャージさんとの会話とじゃあ全然イメージが違うなあ。いくら会ったばかりの他人相手とは言えここまで、物腰どころか人格そのものが違ってそうなくらいに変わるものなんだろうか?
 と、ここで思い出されるのはジャージさんの何気ない一言。
 内弁慶、ね。なるほど確かに。
「いえいえ、別に気にしてませんから」
 本当は少なからず気にしてるんだけど、彼女を責めるつもりはないので不自然じゃないように微笑んでみせる僕。なんせ話を進めたいのです。
「――それで、ですね。僕にもその『何か』っていうのは分からないです。残念ながら」
 こちらの微笑に釣られてくれたのか、少々強張り気味だったおで子さんの表情から、ふと余分な力が抜ける。
「あ、そうなんだ……」
 僕の言葉に残念がり、そして、
「でも、うん。ありがとう。こんなヘンテコな話、真面目に聞いてもらえただけでも――」
 栞さんがすぐ隣に座ってる状況で何ですけど、やっぱり女の人はそうやって薄く笑ってる時が一番可愛いと思いますよ。もちろん自分の彼女が一番なんですけどね。
「って、あれ?」
 なぁんて口にすることが一生有り得なさそうな台詞を思い浮かべていると、最後の最後で笑みが消え去り、口をぽかんと開けたまま目を丸くするおで子さん。まあ見たまんま驚いているんでしょうけど、今の会話でそんな素っ頓狂な声を上げるような箇所ってありましたっけ?
「あ、あの、あのさ、もしかして信じてくれちゃったわけ? こんな怪しすぎる話。自分自身でもかなりイタイなーとか思っちゃってるんだけど」
「まあ、物好きなやつなんですよ僕は」
 正体不明の何か、なんてあやふやな話だけで腰が引けるほどノーマルな生活は送れてはいないのです、幸か不幸か。ご近所さんは幽霊と霊能者とお利口なペットで、しかも幽霊さんのうちの一人とお付き合いをしていて、などという全くもってとんでもない交友関係を持っちゃってますから。しかもここ最近で一気に。
 驚かない自分への皮肉も多少交えつつ手短に答えると、小さく息を吐いて柔らかい表情になるおで子さん。
 そんな彼女へちらっとだけ目をやったジャージさんは、ピーマンを突きつけられた野菜嫌いの子どものように眉をひそめるのでした。何だろう、おで子さんがこういう顔をするのは余程珍しいってことだろうか? 内弁慶なんて言われちゃうくらいだし。
 一方の真っ黒さんは、前方――つまりこちらを向いたままだったけど、その鼻辺りで横一文字に切り揃えられた前髪によって目線が遮られ、実際にどこを向いているのかは分かりませんでした。
「それで、その僕に感じた何かっていうのは今でも?」
 分からないからといって分かるまで睨みつけてても変なので、真っ黒さんからおで子さんへと視線を移して話も移す。
「あ、うん。今でも感じてる――んだけど」
 僕の声が耳に届いた途端、素の顔に戻って、しかも含みのある言い方。
 話が接続詞で途切れた以上、続きはあるんだろうと身構えます。けれど、その発言主は肩をいからせ「むうぅ」と唸りながらこちらをきつく睨むばかりで、続きをなかなか言いだしてくれませんでした。
 発言からやや間を置いてようやくおで子さんの肩から力が抜けると、
「やっぱり、今はなんだか……二つあるような気がするのよね。『何か』が。学校の時は一つだけだったんだけど」
 何かの正体に迫るヒントらしき発言が出てきました。
 しかし、ヒントらしいと言ってもそれは飽くまで「らしい」であって、正直何のことやらサッパリです。学校では一つで今は二つ? あの時の僕と今の僕の明確な違いと言ったらカバンの有る無しぐらいしか思いつきませんけど、それならなんで今は二つなんでしょうか?
 僕を除いたこちら側の三名も、おで子さんを除いたあちら側の二名も、誰一人話に加わろうとしてきません。なので、僕とおで子さんが言葉に詰まってしまえばとても静かなのです。
 こちら側の幽霊さん二名が黙っているのはまあ仕方が無いとして、あちらのお二方が黙ったままなのはやっぱり、おで子さんの意向なんだろうか?『話は自分でしたかったから』ってさっき言ってましたし。
 それで誰も口を挟まないんだとしたら、それはとてもいいことだと思います。友達思いと言うかなんと言うか。でもですね、そうやって静かな中で返事を待たれる身としましては、焦っちゃうんですよ。答えを急かされてるみたいで。しかも全く答えなんか見つかる気配も無いですし。
「うーん……」
 一応時間稼ぎに、腕を組んで悩んでますよアピール。もちろん本気で悩んでるんですけどね。
 本当に何なんですか、学校で一つで今は二つって。
「む? もしや……」
 唐突にチューズデーさんが背筋と尻尾をピンと伸ばし、独り言のように小さく呟き、そして何を思ったか、噴水の縁から飛び降りてあちら三人のほうへ近付きました。
 どうしましたか急に、なんて思ったりしましたが果たして、そのチューズデーさんの行動は、正解なのでした。
「あ、あれ? こっち……来てる?」
 おで子さんのセンサーっぽいものが反応。その位置は、彼女からすれば何もいない筈である自身の足元であるらしい。彼女の視線はチューズデーさんその人、もといその猫が鎮座している一点へと向けられていたのです。
 ああ、そういうことだったんですか。
 おで子さんの反応を見てから、悠々とご帰還のチューズデーさん。すると予想通り、「あ、戻った」とおで子さん。
 大学で一つ、今は二つ。それはつまり、幽霊さんの数だったわけです。大学で会った時は、すぐ隣に栞さんがいましたし。
 ――でもなあ。分かったところで、「『何か』の正体は幽霊です」、なんて言っても信じてはもらえないだろうし……どうしたもんだろうか?
「すいません、ちょっとここで待っててもらえますか?」
『ん?』

 ちょいと小用で退場。……ということにしておいて、茂みの裏で作戦会議。
「どうしましょうかね? 本当のことを真面目に伝えても、馬鹿を見るだけのような臭いがプンプンなんですけど」
 全体に向けて問うてみる僕に、
「ふーむ。わたし達のことを伝えるとするならば、あの三人の内、誰か一人でもわたしと栞君の姿が見えていれば話は速いのだがね」
 チューズデーさんは具体的に話を進めてくれ、
「え? え? 何が? どういうこと?」
 栞さんはそんなチューズデーさんと僕に向けて顔を行ったり来たりさせる。
 うーむ。会議より前に、まずは議題の説明から入る必要がありますかねこりゃ。
「あのですね、栞さん。さっきのチューズデーさんのあれで分かったんですけど――」

「うーん、わけが分からないわ理解不能だわ。そりゃあ普段は誰もいない所で反応があることのほうが多いんだけどさ、なんであの人の傍に一つだったり二つだったり、しかも片方がこっちに来たりするわけ? なんかもう意味不明すぎて気味悪くなってきたわ鳥肌立ってきたわ」
「しかしあの人、一瞬何か閃いたような顔をした気がするんじゃが。何か分かったんじゃろかの?」
「……あの、哲郎さん。そもそもどうして……あの人と顔見知りだったんですか……?」
「ん? ああ、ちょっと前の身体測定の時に書く物を忘れての。シャーペンを借りたんじゃ」

「へー! そういうことってあるんだねぇ!」
 簡単な説明とはいえ納得してくれたようで、興奮気味に声を大にする栞さん。幽霊である栞さんにとっても、「幽霊を感知する人」というのは珍しい事例だったようです。
 すると栞さん、続けて「あっ」と小さく声を上げ、人差し指を天に向かってぴんと伸ばす。
 と言っても上空に何かを発見したわけではなく、
「もしかしてそれってさ、楓さんが生きてる人と幽霊を見分けるのと同じ特技なんじゃないかなあ? 幽霊を感じれるってことはさ、もし栞達が見えたとして、栞とチューズデーが幽霊かどうか見分けられるってことでしょ?」
 特技、と言うとちょいとグレードダウン感が漂ってきますが……なるほど、それはそうなのかもしれません。
 通説とは違って透けてるわけでもなし、足がないわけでもなし、影がないわけでもなし、頭上に輪っかがあるわけでもなし、宙に浮いてるわけでもなし(例外・フライデーさん)。そんな傍目には一般の人達、またはそれ以外の動物達となんら変わらない外見を有する(例外・サタデー)幽霊さん達を幽霊だと見分けられる家守さんは、やっぱり視覚情報以外のところでそう判断してるんだろうし。
「ほう、なるほど。有り得るね」
 しゃがんでいるとは言え、それでも自分よりはるかに高い栞さんを見上げていたチューズデーさんは、納得したと言うよりはむしろ感心したふうにそう言いました。すると今度はその顔がこちらに向き、
「しかしそうだとすると実にもったいない。あとは君のようにわたし達のことが見えてくれれば、あの女性も霊能者になれたかもしれないのに。……あの女性は大学で孝一君とすれ違ったと言っていたが、つまり同じ学校に通っているということかね?」
「まあ、そうなんでしょうね。朝からよその大学に来る人ってのもあんまりいないでしょうし」
 そもそも講義受けてましたし。
「ではこれを機にあの女性と親睦を深めてだね、二人一組で霊能者を目指すというのはどうかね?『霊能者は数が少ないから儲けは大きい』と、以前楓君から聞いたことがあるのだがね」
 急に何かと思えば、チューズデーさんにしては随分突拍子も無い話ですね?
 と思ったら、
「そそそ、そんなの駄目だよ!」
 栞さんが突然取り乱し、何やら子どものように手を上下にばたつかせました。しかも発言者はチューズデーさんなのに、ブンブンと空を切るその両手は僕に向けられて。
「ど、どうしたんですか?」
「だってそんな、親睦を深めるって――それに一緒になってお仕事するなんて、それって絶対に友達以上だよ!? 男の人とだったらまだいいけど……」
 ――嬉しいような、愛らしいような、気が抜けるような。まあ、気が抜けるが正解かな。さすがに。
 今の社会では女性進出の声が大きくなってましてですね、って言うか恐らくはそんなことも関係無くてですね、正直そんなことをわざわざ気にする人は男性にも女性にも殆どいないかと思われます。上司にお茶を出したOLさんがその上司を気にかけてるなんてこと、実際にはまず無いと言っていいでしょうから。
「くくく。意外と独占欲が強いのだね、栞君。この様子だと孝一君、交友関係には気を付けたほうがいいかもしれないね」
 栞さんのみょうちくりんな反応に動揺を見せず笑い飛ばしているところを窺うと、どうやらそれがチューズデーさんの目論見だったようです。
 栞さん自身もチューズデーさんのそんな様子に図られたことを察したようで、むうぅ、と声にならない声を口の中でこもらせ、顔を赤くして俯いてしまいました。
 そんな仕草を見てしまうと追い討ちをかけたくなってしまい、「そうかもしれませんねぇ」とチューズデーさんではなく栞さんに向けて言い放つ僕。ダンゴ虫を見つけると突付いて丸くさせたくなるような、そんな子どもっぽい程度の話なんですけどね。
「し、栞が知ってる霊能者さんって楓さんだけだから……だからね、楓さんがそれをきっかけに知り合った旦那さんと、婚約までしちゃったことが頭に浮かんじゃって」
「大丈夫だよ栞君。昨日の今日で浮気などと、正常な思考の持ち主ならあり得ない話さ。まあそもそも、浮気などというものは人間特有のものだが――さて、あまりあちらを待たせるのも悪い。本題に戻ろう」
 意図を持って話を逸らしたのはあなたでしょうに。

「あの人、遅いわね……トイレって確か、すぐそこにあったわよね?」
「そこで時間に触れるな。どうせ碌な話に発展せんからの。大方、腹の調子でも悪かったんじゃろ」
「……自分で言っちゃってませんか……?」
「あたし等放ってどこかに行っちゃったってことは――あり得るわよね、こんな何の宗教よって話しちゃってるんだもん」
「でも、嘘ではないんですよね……? だったら……そんなに気に病まなくても……」
「気に病むだなんて、別にそんな。あたしはどうともないわよ?」
「なら喋り方を元に戻すんじゃな。お前の機嫌は分かりやす過ぎるわい」

「言わないほうがいい、ですか?」
「うむ。わたしはそう思う」
「うーん、やっぱりそうなるのかなぁ。ちょっと寂しい話だけど」
 どうせ言っても信じてもらえないし、駄目元で言ったとしても僕が変人扱いされるだけだ。という、ごくごく当たり前な話。そりゃあ言ってほいほい信じてもらえるなら、今頃はお化け屋敷が遊園地のアトラクションとして成り立たなくなってるでしょうしね。
「でもでも、例えば栞達があの人達に触るとかすれば、もしかしたら信じてもらえるんじゃないかな?」
 栞さん、食い下がります。それもまた当たり前の話で、僕だって、自分が幽霊でこの状況だったら同じく食い下がるでしょう。自分の存在が信じてもらえないっていうのは、やっぱり辛いことでしょうから。
 しかし自身もまた幽霊であるチューズデーさんは、苦々しく眉間にしわを寄せます。
「あまりこういうことを言いたくはないがね……」
「何?」
「………………いや、止めておくよ」
 栞さんが先を促すものの、しばしの沈黙の後、顔を横に逸らしてストップをかけました。声を掛けた二人はもちろん気になるだろうし、僕だって当然そうです。けど、
「我ながら、大人気ないな」
 息を漏らすように弱々しくそう呟くチューズデーさんに、僕達からそれ以上声が掛かることはありませんでした。

(すまないねフライデー。君に止められなければ、危うく熱弁を振るうところだったよ)
(君にしては珍しいじゃないかチューズデー。そこまで大袈裟な話を持ち出すようなことでもないんじゃないかい?)
(やはり生きている者と関わると、そういった方面に考えが及んでしまうのだよ)
(ま、君の言い分は正しいんだろうけどね。他の皆もいやぁな顔をしてるけど、反論はないようだし)
(すまないね。……わたしも年寄りということか。楽しくデート中の二人に向かって、説教しようなどとは)
(かっかっか。デートなど、とっくの昔に丸つぶれだよ。そこは気にしないでおきたまへ)
(うーむ、それもそうか)
(おやおや、酷いねえあっさり納得するなんて。大吾君を成美君に譲った腹いせかい?)
(馬鹿を言うな。そんなのではないよ。――と言うか、関連付けが無理矢理すぎるではないかね)
(ふふふふ、もちろん冗談だよ。なんせ私は今、君の中にいるのだからね。本音など丸見えさ)
(ふん)
(では不毛な冗談はここまでにして、話を戻そうか。――確かに、我々を見ることも聞くこともできないという生きている人間の世界にとって、我々の存在という問題は大き過ぎるだろうね。なんせ『死んだらそこで終わり』という、人間にとって普遍の極みである法則がひっくり返るのだから)
(だがそれゆえ、簡単には信じてもらえない。別にわたしは無理に信じて欲しいとも思っていないがね。むしろ知らないほうがいいとさえ思っているよ)
(それは恐らく正しいんだろうさ。人間は、そういうふうにできている生き物なのだから)
(……なあフライデー。なぜ人間だけが幽霊を見ることができないんだろうね?)
(さてねぇ。セミの抜け殻風情には見当もつかないよ)

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